|
綺麗に刈り上げられたスーパー・ホワイトの毛。すらりと伸びた脚にクリンとした瞳。冠をかぶったようなフワフワ帽子が私の自慢なの。
私の名はアン。誇り高きプードル。
私が生まれたのは、イギリス。伯爵のお父様とお母様にこの上ない愛情を注がれ、2歳まで育ったの。ある日、アジアから来た現在のお父様とお母様に引き取られ、日本に来たって言うのが私の経歴。ヨーロッパにいたときも、日本に来てからも何不自由ない生活が続いたわ。日本では楽しいお友達、ジョンや太郎に囲まれ、この上ない至福の時間を過ごしていた。そうあの日までは。。。
ある晴れた日曜日。朝早く、キッチンに行こうとした時だった。"ゴホゴホ"。「あら、いやだわ。」と思っても咳が止まらないの。お陰でお父様とお母様を起こす羽目になってしまったの。優しいお二人は、「お医者様に診てもらいましょう。」と私を掛かり付けの先生の所へ連れて行ったの。
白い白衣に髭を生やしていて、いつ見てもちょっとお下品な先生だけど、「仕方ないわ。」と思いながら、なすがままにされていたの。一つだけ許せない検査があったの。そう体温よ。ジョンや太郎から聞いていたけれど、「まさか、この私が。。。もしされそうになったら、拒否するわ。」って堅く心に誓っていたのだけれど、その時はやって来たわ。顔から火が吹き出しそうだったわ。でもお父様とお母様の手前、良い子にしていたわ。体中を触られ、あまりいい気はしなかったけれど、我慢したのよ。そして一通りの検査が終わって、私的には「たいした事ないので、お薬を頂いて帰れるわ。」と思っていたのだけれど、そのまま「精密検査」と言って置いて行かれたの。「私ってそんなに悪いの? イヤだわ。どうしましょ。」かなりショックだったので、その内容を残しておこうと思って筆を取りましたの。
まず私、血を採られましたの。どうやら他の検査をした後では、騒いだりすると数値が変わってしまうって言うことらしいの。「ここで騒いでは私の血筋が許さない。そう、私は誇り高きプードル。」と何度も自分に言い聞かせたわ。でもちょっと予想を裏切る結果になってしまったの。もちろん、院長先生みずから血を採って頂けるものとばかり信じていましたのよ。でもどうでしょう、私の手を"ムンズ"と掴んだのは、院長先生ではありませんでしたのよ。「まったく何様だと思っているの?」と顔を上げてみますと、あらキムタク似の若い先生じゃありませんか。思わずポーッとしてしまったのだけれど、顔と腕は比例するわけではありませんでしたわ。気が付くと歯をむいてしまっていた、わ・た・し。。。それを見た若い先生は、「口輪!」ってぶっきらぼうに叫んで、何をするかと思うと、この私の口を閉じる輪をはめたましたの。こんな屈辱的な事は初めてでしたわ。おまけに何回も針を刺すんですもの。さすがの私でさえ、限度がありますわ。汗をかきながら採血している姿、「いい加減にせんかい!!」なんて、口が裂けても言えませんでしたけれど。若い先生の美貌と私の青く腫れ上がった採血の所。どう考えてもマイナスでしたわ。
とっても気分を害した採血の後は、レントゲン撮影と心電図検査。「そんなにギューギュー押さえなくても分かってるわ。私は誇り高きプードル。」先ほど口に着けられた「口輪」をしたまま検査が進んだのよ。信じられないほどの屈辱。思わず涙が出そうでしたけれど、プライドがそれを許さなかったの。その後は、エコー検査と言って、透明なアクリル製の台に乗せられましたの。前のお父様が馬に乗るとき使っていたムチに似た道具を逆さまに使うように私の身体に押し当てられましたの。するとどうでしょう。画面には赤や青、それに緑色がきれいに見えたわ。「私って綺麗。」って思っていたのだけれど、どうやらそのカラフルな色使いが悪かったらしいの。
やっと検査が終わって、「口輪」をはずしてもらったの。すっきりしたけど、まだ咳は止まらなかったの。そうこうしている内に診断が付いたらしく、首の所に注射を二本。射ってくれたのは、やっぱりキムタク似。ちょっと脅かしてやったのだけれど、「良い子だねぇ。」って笑顔で返してくれたの。「あなたに良い子って言われたくないわ! 失礼ね。」って思いながらも、悪い気はしなかったわ。それから入院室に入れられたのよ。「こんな金属の味気ない部屋は初めてだわ。」と思いながら最初は強気だったの。時間が経つに連れて、お小水が出そうになったの。青ざめたわ。「イヤッ! こんな所で用を足すなんて! 私のプライドがゆるさ・な・・い・・・。」出てしまったわ。不覚だわ。泣きたくなったわ。死にたいくらい。。。でも気が付くと咳が出なくなって、呼吸が楽になっていたの。「何なの?」って複雑な気持ちだったわ。
しばらくしてお父様とお母様が迎えに来てくれたの。院長先生はお二人に病気の説明をして下さったのよ。「僧帽弁閉鎖不全症」。これが私の診断名。お薬の説明をしている院長先生の話に耳を傾けると、「心臓には部屋が四つあって、二区画に別れています。肺から帰ってきた血液は、左心房と言うところに入って左心室という所から全身に送られます。この左心房と左心室の間には僧帽弁と呼ばれる逆流を防ぐ弁がありまして、アンちゃんはその弁がうまく閉まらなくなっています。すると肺の血圧が上がって、どこにも行きようのない血液は、液体成分が血管から漏れてしまうのです。すると肺の容積が減って、ちょっと興奮したり運動すると咳が出てしまうのです。」と訳が分からない説明をされたの。分からなくてもいいの。この咳さえ何とかしてくれれば。
帰りに「アンギオテンシン転換酵素阻害剤」と「利尿剤」を渡されたの。お家に帰るとすぐにお父様が私に薬を飲ませたの。しばらくして、また「不覚の時間」を迎えたわ。そう「お小水」の時間よ。でもトイレはすぐそこにあるので、病院にいた時ほど自尊心は傷つかなかったわ。
最近の私は、1日何回も「不覚の時間」を迎えるの。でもそのお陰で咳は出ないわ。
病院に連れて行ってくれたお父様とお母様に感謝を忘れない。
私の名前はアン。誇り高きプードルだもの。
注:「私」は「わたし」と読まないでほしいの。「わたくし」と読んで下さいませ。
<診察した獣医さんのコメント>
アンちゃんは、老齢の小型犬に多い「僧帽弁閉鎖不全症」が引き起こした咳でした。この「僧帽弁閉鎖不全症」を説明するには、心臓の血液の流れを簡単に理解する必要があります。全身から帰ってきた血液は、右心房→右心室を経て肺に送られます。肺では酸素が少なくなった血液から二酸化炭素を奪い取り、酸素をくっつけてくれます。酸素をいっぱい含んだ血液は、左心房→左心室に送られ、大動脈を通って全身に送られることになります。左心房と左心室の間には逆流を防ぐ弁があります。これを「僧帽弁(そうぼうべん)」あるいは、その形から「二尖弁(にせんべん)」と呼びます。この弁が歳とともに、あるいは血統的に閉まりづらくなると、「閉鎖不全(へいさふぜん)」という状態を起こします。本当は大動脈を通って、効率よく全身に血液を送りたいはずなのに、「僧帽弁」がうまく閉まらないと血液が逆流してしまいます。弁の閉まりが段々悪くなって、血液の逆流する量が多くなると、肺の血管に過剰な圧力をかけてしまうことになります。肺の血管は必要以上な圧力がかかると、そこから血液の液体成分が漏れてしまいます。すると呼吸に必要な容積が確保できないことになり、ちょっと興奮したり、運動すると咳が出てしまうのです。
アンちゃんの場合、身体一般検査で心臓の音に雑音が混じっていて、呼吸の音にも雑音が混じっていましたので、飼い主さんに、血液検査、レントゲン撮影、心電図、エコー検査といった精密検査を勧めましたところ了解が得られ、検査させて頂きました。結果から「僧帽弁閉鎖不全症が主な原因となっている咳である。」と診断しました。
アンちゃんの僧帽弁閉鎖不全症を伴う心不全は、国際小動物心臓学会議(ISACHC)が1992年にまとめたガイドラインに照らし合わせると、クラス2という分類に該当しました。そこで、アンギオテンシン転換酵素阻害剤(ACEI)と利尿剤を使ってみたところ、咳が出なくなって、呼吸も楽になりました。
予防接種や他の病気で動物病院に来るワンちゃんの中には、偶然、心臓の雑音が発見されてしまうケースがあります。その雑音が僧帽弁閉鎖不全症の始まりだったとしたら、すぐにでも治療を始めた方が良いでしょう。その方が確実に長生きできますから。 |