エッセイ
2000年7月24日


僕の貧血


 午後6時。
 いつものように母さんが僕にご飯を持ってきてくれる。大好物のドッグフード。「ヨシっ!」ていう声が、「食べていいよ」の合図だ。いつも母さんはニコニコしながら僕が食べ終わるまで見ているんだ。食べ終わってホッとした頃、父さんが仕事から帰ってくる。いつも僕の頭をなでてから家に入る。お姉ちゃんは帰るのが遅くて、この間なんか、夜遅く「知らないヒトだっ!」と思って飛び起きて、「ワンっ!」って吠えたら、「私だよ!」ってコツンとやられた。ま、あんまり痛くなかったけど。
 僕? ジョンて言う名前の雑種犬さ。おっと、雑種だからって見くびってもらっちゃ困る。狂犬病予防注射だけじゃない、混合ワクチンやフィラリアだって予防してもらってる。結構、お坊ちゃんなんだぜ。友達には、散歩で良く会う柴犬のコロ、いつも身体を掻いてるシーズーの太郎、そうそう「病院に行った方が良いんじゃない?」っていつも言ってあげてるんだけどね。それから。。。すっごくかわいいプードルのアン、みんなに会うのが楽しみなんだ。
 家族は僕を可愛がってくれるし、友達もたくさんいるし、まぁ幸せってところかな。

 今はこうやって話してるけど、つい1ヶ月くらい前には大変なことがあったんだぜ。今からその話を聞かせるね。

 いつものように朝早く起きて、「今日もみんなを見送ってあげよう。」って、5時には起きて準備してた。父さんが玄関を出た。僕のところに来る。立ち上がろうとした瞬間、フラフラってめまいがして、うまく立ち上がれなかったんだ。父さんは、すぐに母さんを呼んで、ちょっと話をしたかと思うと、僕を心配そうに見ながら出かけていった。僕はフラフラだし、それに人間の難しい言葉は分からない。母さんは一旦家の中に入ってから戻ってきた。母さんはいつもエプロンをしているのに、ちょっとお洒落をして僕のところに現れた。「散歩するには、時間が早いし。。。」って思っていると、手には散歩用の「ひも」を持っていた。「散歩か。」って思ったんだ。そんな気分じゃなかったけど、「せっかく連れていってくれるんだから。」って起きようとしたら、ホントにフラフラして起き上がれなかったんだ。それでも母さんは、僕の首輪にひもをつけて行こうとする。何だかいつもと方向が違う。。。僕は「自動車」っていう鉄の乗り物に乗せられた。何だかイヤな予感。「自動車」に乗るといつもと違った風景を通り抜けて、ある建物の前で止まった。それを見た瞬間、「あっ。」と思った。「動物病院」。僕が一番苦手なところだ。この前もフィラリアの検査とか言って、手に針を刺した時、痛かったからちょっと暴れてやったんだ。そしたら白い上着を着た男のヒトに、母さん叱られてたっけ。

 待合室には、気分悪そうな仲間や袋から頭だけ出した猫なんかがいたけど、知り合いはいなかった。普段なら僕も緊張しながら待ってるんだけど、今日は身体に力が入らない。。。そのうち順番が来た。「ジョンくーん」っていう看護婦さんの優しい声。いつもなら踏ん張って抵抗するところなんだけど、その日はダメだった。すんなりといつもの台の上に乗っけられて、白い上着の男のヒトが母さんと何やらしゃべってる。母さんは、その人を「先生」って呼んでる。「先生」は、おもむろに僕のシッポを持ち上げると、棒みたいな物をお尻に突っ込んだ。暴れようと思っても、ボーっとしちゃって何が何だか分からない。それに母さんがまた怒られると困るしね。幸か不幸か動けなかった。「先生」が部屋から出ていって、戻ってきたと思ったら、その手には僕の一番嫌いな注射器があった。「この間、それやったよ!」って言いたかったんだけど、看護婦さんに押さえられて動けなくなった。前と同じくらい痛かったけど、母さんのことを思いながらジッとしてた。

 待合室に戻って、帰れると思っていたら、また台の上に乗せられた。難しい話をしていたようだけど、「貧血」っていう言葉がたくさん出てきたのを覚えてる。どうやら僕は「貧血」って病気らしい。先生は「黒いチューブの着いた円盤」を押し当てて聞いてみたり、お腹の当たりをギュウギュウ触ってみたり、挙げ句の果てに歯ぐきを押してみたりしていた。いつもなら暴れるところだけど、今日はそうもいかない。するとドアから母さんが出ていった。「えっ?」って思う間もなく、看護婦さんが僕を「入院室」って書いてあるところに連れていった。僕は一階の部屋に入れられた。他の部屋には、身体からチューブの生えた仲間や、咳の止まらない仲間がいた。僕は立つ気力もなくて、横になってたんだ。冷たい金属の壁が妙に心地よかったのを覚えてる。

 うつらうつらしていると、さっきの看護婦さんが僕を連れに来た。そしてまた台の上に乗せられ、たくさんの血を採られたけど、なすがままになっていた。それから「先生」が、ヒヤッとした液体を僕の首につけたっけ。あとはボーっとして覚えてないや。

 母さんが迎えに来たのは、それから3,4時間経った頃だろうか。家に着くと父さん、それにいつも帰りの遅いお姉ちゃんまで心配してくれたのか、僕を待っててくれた。それでも僕は何もする気が起こらず、独りで犬小屋に入っていった。その日は構って欲しくない気分だった。

 翌朝。
 何だか身体が軽い気がした。気分もいい。そう言えば、昨日までモゾモゾ身体中を動いてたノミやダニがいない。「ん?」 地面を見るといっぱいヤツらが落ちていた。気持ち悪かった。父さんが来たので、気分がいいと伝えるために、一生懸命シッポを振ってみたら、父さん「ジョン、元気になったみたいだな。」って笑顔で出かけてった。いつもは挨拶に来ないお姉ちゃんまで、僕のところにやってきて、「ふぅーん。大したことなかったんじゃない。」ってコツンと頭を叩いて出かけていった。何となく嬉しかった。母さんがまた洒落た格好をしてたので、犬小屋に避難してみたけど、ひとりで「自動車」に乗って出かけていった。帰ってきて、僕のところで一言。「ノミとダニがひどくて、貧血起こしてたんだって。また先生に怒られちゃった。」って苦笑いしてた。

僕は日に日に元気になっていった。
午後6時。母さんがご飯を持ってやってきた。

<診察した獣医さんからのコメント>
 ワンちゃんを診察していると、飼い主さんが「貧血」と「低血圧」をごちゃ混ぜにしていることがあります。「貧血」って言うのは、大ざっぱに言うと血液の中の「赤血球」っていうのが少なくなってしまうことを指すんです。このジョン君は、診察してみるとヒドイ貧血でした。ひとくちに貧血といっても色々なタイプがあって、命に関わる重大なサインのこともあります。例えば、ジョン君のように赤血球を失ってしまうタイプ(失血性)、赤血球が壊れてしまうタイプ(溶血性)、赤血球が作られないタイプ(赤血球生成の減少)などがあります。それぞれの原因によって、治療の方法が違ってきますから、どのタイプの貧血かを判断するのはとても大切なことなんです。身体検査はもちろん、場合によっては詳しい血液の検査まで必要になることがあります。ジョン君の場合、身体にノミとダニがたくさんくっついていたことと、血液検査からもノミやダニの寄生を疑わせる結果が出たので、駆除剤を使いました。時にはノミやダニによる貧血でさえ、輸血が必要になることもあるんですよ。程度にもよりますけどね。
 このシーズン、まだまだノミやダニがたくさん付いているワンちゃんを見かけます。西日本では、風土病みたいにダニから感染する「バベシア」と言うマラリアのような寄生虫もいますから、ノミ、ダニといってもあなどれませんね。気を付けましょう!!